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桶屋町

桶屋町(おけやまち)


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 桶職人が多く居住して発展した町。この町は昔の町界のままである。

傘鉾

<飾>

 朱塗りの台上に白象と金色の宮殿を配し、象の両脇に時計を彫刻し、宮殿内にブロンズ製紅毛人打鐘の像を置く。(安永元年(1772)3月作。 この傘鉾は鍛冶屋町の傘鉾とともにからくり仕掛けである)

<垂>

 繻子地に下部に花籠模様を織出し上部に三社紋刺繍。(昔は長崎刺繍で十二支の動物が刺繍されていた)

桶屋町傘鉾

<長崎市指定有形文化財>
指定年月日 昭和49年3月8日

所在地 桶屋町町内倉庫に保存

朱塗の台の上に南蛮渡来の白象をのせ、象の背には異国風に作られた金色の宮殿がある。宮殿の中には青銅製の紅毛人(こうもうじん)が椅子に座り、象の両側には硝子(ガラス)の丸抜きをはめた時計があるが、この時計の針が回るごとに南蛮人は鐘をたたき、下の象は鐘の音にあわせて鼻をまき上げる。 この時計の原型となったオランダ舶載の時計はあった。 しかし象の鼻をまき上げるのは長崎人の着想だろう。十二支刺繍の垂は上部の時計の十二支に合わせて造られたもので、長崎刺繍としては年号も「安永元年」(1772)と判然としており、 長崎の傘鉾中白眉(はくび)のものといっても過言ではなく、長崎工芸史上貴重な資料である。 (長崎市ホームページより転載)

奉納踊

 「本 踊」

  • 昭和31年 「東土産祭賑(あづまみやげまつりのにぎわい)」
  • 昭和38年 「長唄 秋祭諏訪賑(あきまつりすわのにぎわい)」
  • 昭和45年 「風流俄獅子(ふうりゅうにわかじし)」
  • 昭和52年 「長唄 伊達競祭礼絵姿(だてくらべまつりのえすがた)」
  • 昭和59年 「競花賑祭禮色彩(はなくらべにぎおうまつりのいろどり)」
  • 平成4年 「象引申歳秋乃宮日賑(ぞうひくことしのあきのみやびのにぎわい)」
  • 平成11年 「長唄 錦輝象引民舞賑(にしきてるぞうひくたみのまいのにぎわい)」
  • 平成18年 「長唄 錦輝象引民舞賑(にしきてるぞうひくたみのまいのにぎわい)」
  • 平成25年 「長唄 錦輝弥栄宇舞社(にしきてるいやさかえませまいのにわ)」


桶屋町本踊    桶屋町本踊
 

永島 正一氏は、桶屋町を以下のように紹介しています。

 桶屋さんの町であった。麹屋町との間に石橋の一覧橋が架かる。高一覧の架けた石橋、そして真宗光永寺のある町、若き日の福沢諭吉先生仮寓(ぐう)の寺である。
 この町の傘鉾は有名である。
「時計」の飾り物である。
 白象に仕込まれた時計、上に金色の天蓋(てんがい)があってその中にオランダ人、仕掛けがあってオランダ人が鐘を打つ。それと同時に象の鼻も動いた。
 同町の記録では、安永元年(1772)3月の作という。
 白象の下鞍(くら)にビードロのモザイクがあり、時計の文字盤には干支(えと)で時を表す。
 輪はビロードに町名、タレは、藤紫繻珍(しゅちん)、花菱鳳凰(はなびしほうおう)の模様があって上部に金糸で三社紋。
 昔は十二支の長崎刺しゅう、今は古びて使用に耐えず、同町では大事に保存しているが、誠に見事なものである。(写真参照)
 異国情緒豊かで長崎傘鉾を代表するものの一つ。昭和4年に大阪で催された朝日新聞社主催の「開国文化大展覧会」に出品され注目を集めた傘鉾である。
 出し物は本踊り。明治時代に「少年剣舞」を出したこともある。「吉野山」、「嵐山花五郎」、「石切梶原」、「侠客五人女」などが本踊りの外題。
 戦後は早くも昭和24年に傘鉾と本踊り、「勢獅子」と「手古舞神田祭」を出して以来、31年、38年、45年、52年と休みなしに本踊りを奉納している。
(昭和53年長崎新聞「くんち長崎」より)

越中哲也氏は、桶屋町を以下のように紹介しています。

 この町は、長崎における職人町の一つで、昔、桶職の人達が多く住んでいた町であった。
 この町の町印は天狗の団扇である。天狗の団扇は火を防ぐという
長崎で天狗の住む山は豊前坊である。多分、この町内は豊前坊の氏子になってるのかもしれない。
 町内には、福沢諭吉が長崎留学時代に寄宿していた、真宗東本願寺派の九州における大寺院、光永寺がある。
 

参照

踊町
2013年長崎くんち桶屋町本踊(外部リンク)

編集者(  )
このページは桶屋町に関する書きかけ原稿です。